【証し】厭味ったらしい祈りを神様が受け止めて下さった!
- 来栖 彰
- 7月14日
- 読了時間: 3分
何とか元気になろうと頑張ったけど、どうにもならず。
気分転換にカーテンとベッドカバーを変えようと、ニトリへ自転車を走らせるも、商品を選んでいる最中に疲労し、帰り道ではまた涙腺が決壊する始末。
アラフォーの女が、泣きながら自転車を漕いでいる。
あまりにも辛くて「神様あまやかして」「神様、鼓舞よりも慰めが欲しい」と祈るも、聞かれず。
帰宅後も涙は止まらなくて、心は完全に漆黒になっていた。
極限まで追い詰められ、ついに、今までしたことのない祈りをした。
先ほどこのブログに書いた内容に、さらに付け足したような、滅茶苦茶に厭味ったらしい祈りを捧げてしまった。
感謝の言葉も口にせず、御名を崇めることもせず、泣きながら淡々と、嫌味を神にぶつけた。
本当に不思議なことが起きた。
神様は、私の心を透明に変えてくれた。
まるで、涙と一緒に悪霊が洗い出されるみたいな体験だった。
透明になった心で、新しいカーテンとベッドカバーに変えて、インテリアを楽しんだ。
絵を描くやる気、いろんなやる気が出て来た。
また悪魔が「透明になったのは見捨てられたからだ」と言って来たけど、無視した。
フィーリングよりも聖書が正しいことを私は知っているからだ。
実は今日、出かける予定はなかった。
数日前から体調はすこぶる悪く、仕事も代わってもらっている状態だったので、家で養生するつもりだったのだ。
ところが、ふと「カーテン嫌だな、変えたいな」と思い立った。
しかし、予報は雨。台風も近付いているし、自転車移動が主な私には外出に向いた日ではなかった。
ところが。
神様に「インテリアを変えることは御心ですか?」と祈ってみたら、雨予報が曇り予報に!
これは神が行けと言っているのではと思い、思い切って出かけて、そして冒頭に繋がるのだ。
私は最近決めたことがある。
それは「カッコつけない」ということ。
だから神様に「甘えたい」と祈るようになったのだが、まだまだ砕かれ切れていなかったようだ。
私は今まで一度も、神様に本心から来る嫌味を言ったことがなかった。
嫌味を言うといいよ!っていうことではなくて、私の神様への本心が嫌味だったからこそ、それを神の前に正直に申し上げることが必要だった、ということである。
誰が訪れているのかわからないこのサイトの日記。
届く人がいるかはわからない。
それでも、綴らねばと思うくらい、今日の体験はとても、とてもとても大切なものだった。
感謝を宣べる、大切なことだ。
神を信じる、必要なことだ。
しかし、それらは「心から宣べて信じる」ことが求められているのであって、本心が追い付いていないのであれば、きっと、先に本心を神様にお預けする方が良いのかもしれない。
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