弱さの中に現われる神の力
- 来栖 彰
- 8月26日
- 読了時間: 2分
夜になると現れる不調や、思うように行かない日常生活の中で、神様は一体何を伝えようとしているのだろうと考え込む日々が続いていた。
でも、よくよく考えたら、一時よりも状況はとても良くなっているのだ。
一年前までは夕方15時ごろ起きて、明け方の6時ごろ寝て、食事は一日二食、外出は夜が更けてからという、夜勤があるわけでもないのに滅茶苦茶な生活リズムだった。
でも今は、夜は不調だからという理由ではあるけれど、朝は5時から7時の間に起きて、夜は20時ごろには床に就く生活がずっと続いている。
そのお陰で日中にやるべきことをやったり、人と関わる時間を作ったりできるようになった。
これで夜の不調が無ければ私としては最高だけど、悩みが全て消えてしまったら、きっと私は神様を求めなくなる。
私はこう見えて、この世の楽しみを見つけるのが得意な人間だ。
一人の時間も楽しめるし、お金を使わない娯楽を沢山知っているつもりで生きている。それは長所だけど、この世の楽しみに心が奪われやすいという欠点でもある。
毎日が充実して、少しの不安も無くなって、何もかも順風満帆になったら、私は神様を求めることに対してとても作業的になり、信仰が形骸化していくとわかるのだ。
私の横着な性格は、神様への信仰の態度にも現れやすいと私自身に自覚がある。
そして、今の私は神様に全てを委ねる訓練のときを生きていると感じている。
神様の試練は必ずクリスチャンを精錬させ、信仰をバージョンアップしてくれると私は確信している。荒野で追加された40年を避けるためにも、神様に信頼を置くことをやめないのが、きっと今の私のやるべきことなのだ。
委ねることがやるべきこととはなんとも不思議な感覚だけど、きっと大丈夫と信じている。
神様の力は、私の弱さの中に完全に現れる。
そう聖書が約束しているから、私は私の常識より、聖書の言葉を、神様の約束を信頼すると決めた。
さて、あと一時間半もしたら就寝時間だ。
しっかり睡眠をとって、明日に備えよう。
アドナイ・エレ
明日もきっと主の備えがあると信じ、感謝します。
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