クリスチャン教脱退!
呆れるほどに荒れた日を過ごした。 気分転換に外出しても外出先で涙を流し、家に帰って来てもひたすら泣きじゃくる日。 きっかけは「何故自分は貧乏くじばかり引かされるのか」という疑問が、頭から払しょくできなかった事。 そこから自分は被害者であるという考えがどんどん膨れ上がって、破裂してしまったのだ。 でも、今日という日にとても大きな学びをしたと感じている。 体調が悪い日があったり、そんな日が続いたり、物事が思う様に行かなかったり、そんな完璧じゃない自分の人生を愛せる様になろうと思ったのだ。 きっと、私が今目指すべきはそこだ。 不調な日、目標に届かなかった日、不意に傷付いた日、そんな日も「自分の一部」として受け入れて、「そんな不完全な日々を生きる自分をそのまま愛する」ってのが私の課題なんだ。 人と比べるのをやめよう。 完璧を目指すのをやめよう。 失敗を責めるのをやめよう。 これらの考えは自分の心を傷つけて暗くするし、そしていつしか他人も傷つける価値観を育ててしまうから。 それこそイエス様が忌み嫌う「裁く」という行為なのだろう。...
整える
休憩している時、眠っている時、寝込んでいる時。 何も生み出すことをしていない事に焦りや罪悪感を感じてしまう。 でも、本当は、例えば夜の寝付くまでの何もしていない時間も、尊い時間なんだ、ゆったりしていいんだと感じられるようになりたい。 夜の不調に苛まれるようになってから、就寝時間は19時半~20時、睡眠時間は10時間と、人一倍休息に時間を使っていて、これは良いことなのか?損をしていないか?そもそも怠けではないのか?と、とにかく焦っていた。 でもきっと、この時間に整えておかないと、どんどん歯車が狂っていって、いずれ生活もままならない時期が来てしまう。 「安息日は人のためにある」 これはとても、本当にとてもとても有難い御言葉だと思う。 今日も私はしっかりがっつり休んで、明日に備える。 明日やるべき事のために、ちゃんと自分を整える。 まどろむことのない神様が、寝ている私のそばにいて、片時も離れずに見守っていて下さいますように。



