前向きな言葉を受け入れる勇気と、聖書の言葉を蓄える事
- 来栖 彰
- 2024年9月25日
- 読了時間: 2分
先日まで鬱屈した気持ちで過ごしていて投げやりな事を神様にお祈りしていたら、子供の頃見ていたアニメの楽曲を示されて気持ちを立て直すという、なんとも不思議かつ単純な体験をしました。
単細胞な自分が恥ずかしいですね本当に。
愛と希望を歌ったその曲が捻くれた私には合わないと感じていましたが、「諦めないで」「気付けば愛はそばにある」って歌うものだから、いろいろと勇気を貰ってしまいました。
この事自体に感謝なのですが、同時に「前向きな言葉を蓄える」っていうのはとても大事だなと最近感じます。
鬱屈した自分の心を代弁するような言葉や歌詞に自己を投影して癒される作業は、私はとても大事だと思います。
ただ、それだけを心に蓄えておくと、本当に全てを諦めてしまいそうな時に危険なのかもしれないと、今回の事で体験した気がしています。
傷付いている時は前向きな言葉を受け入れられないものなのですが、それこそ癒しの過程を踏みやすくするためにそういった言葉に触れる機会を意識的に増やしていくって大事かもしれませんね。
聖書の言葉を蓄える事にも通ずるものがあると思います。
やはりイエス様との繋がりや、神様の御心を知るために聖書を読む事は必須の道なので、読めるときに聖書を読んでおくというのも大事ですね。
聖書が読めない日の自分のために、蓄えておきたいなと思いました。
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