人に求めずに、神に求める
- 来栖 彰
- 2016年1月27日
- 読了時間: 3分
時に、「何故この人はこんな事を言うのだろう」という気持ちから、裁いてしまう事があります。
私はよくこういう事があるタイプです。
とても悲しい事があった時、相談に乗ってくれた家族が、自分ではなく相手を庇うような事を言う時…
「はぁ!?Σ(゜д゜#)」ってなったり。
大事な話し合いをしているのに、当人は言い訳で逃げ回っていたり。
でも、その時裁く心が出てくると言うのは、つまりは自分の正義で相手に語り掛けている、そして神ではなく人に求めているという事である。
今日はそんな事をイエス様に指摘されました。
箴言3章5~6節
心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け。
そうすれば、主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。
自分の分別に頼るな、主を信頼せよ、神がこうおっしゃってるのに、自分の価値観に従ってしまう…これは私がこれから長い道のりで直さなければいけない悪癖です。
ヨハネ14章13~14節
またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。
父が子によって栄光をお受けになるためです。
あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。
人に慰めてもらえなくて不貞腐れていて(笑)
そんな時、イエス様がこの聖句に導いて下さいました。そしてこんな祈りが出ました、「イエス様、あなたが私を慰めて下さい」「一緒に泣いて下さい」と。
またも不思議な体験、怒りなんてあっという間に消え、イエスこそ最高の理解者であり、最高の友であり、そしてそんなお方が全てを支配する神であると再確認出来ました。
こんなに心強い味方がいて下さるのに、他に何を求めるのか。他に何を望む必要があるのか。
私だって人に何かを求められたら、その人の望む100%を与えるなんて到底無理な話です。
一体何を傲慢になっていたのかと反省しました。
マタイ5章4節
悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。
とても有名な聖句ですよね。心が落ち着いてから思い出して読みました。
確かに私は今日、ここ数ヶ月の悲しみからイエスに慰めて頂きました。王の王に、主の主に、慰められる…こんなにありがたい事があるでしょうか。
誰とも意思疎通をはかれなかったけど、誰にも本音を言えなかったけど、誰からも本当の事に気付いて貰えなかったけど、誰も同情してくれなかったけど、今日は慰めに満ちた一日でした。
主イエスという一番優しい方の慰めをたくさん頂けました。
こんなにも傲慢な人間さえ慰めて下さる優しい神様に、心から感謝致します。
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