クリスチャンとしての目標
私が放蕩から帰ってきて大分時間が経ちました。
放蕩から帰ってきて、だんだんクリスチャンとしてのエネルギーが蓄積されてきて、さて、クリスチャンになって救われたからには少しずつでも成長していかなければならないなと思うようになりました。
そう思ったきっかけは、やっぱり救いの確信を得た事になります。
私は「神様にして頂いた事を、自分も誰かにしてあげたい」と思うようになりました。
それが私の"クリスチャンとしての目標"です。
クリスチャンにもいろいろなタイプの人がいると思います。
神様から与えられている賜物がそれぞれ違うのだから、当然ですよね。
私は【人を労われるクリスチャンになる】これが目標です。
何故これがクリスチャンとしての目標なのか。
私が神様に労わって頂いた事が、本当に嬉しかったからです。
疲れ果てて、誰も助けてくれなくて、居場所も奪われて、これはもう地上で生きて行くのは無理だ早くイエス様再臨して下さいと神様の前に泣いた時、神様は私を労わって下さいました。
もっと正確に言うと、労わってくれる人を遣わして下さいました。
神のなさる事は本当に、すべて時にかなって美しいんですね。
この時の試練が私に目標を与えるきっかけとなりました。
目標を得たと同時に、神様の前に正直な気持ちを曝け出せば、たとえそれが泣き叫ぶような声であっても祈りとして届くのだと、なんだかとてもホッとしました。
カッコつけたお祈りは必要ないんですね。
そして、私も誰かを労われるような、そんなクリスチャンになりたいと思うようになりました。
これは、神様が私に与えて下さった私が持つべき目標なんだと思います。
私は大きな事は出来ないし、誰も大きな事をやる必要はないと思います。
ただ「自分が神様にして頂いた事を、自分も誰かにしてあげよう」と、そう思えたらそれがきっとその人のクリスチャンとしての目標になると思うのです。
ときに出来なかったり、クリスチャンとして立ち止まる事があっても、きっと神様が導いて下さるから大丈夫だと、本当に救いを確信してからはそう思ってゆだねて毎日を過ごしています。
願はくは、神様が誰かの元に私を遣わして下さいますように、用いて下さいますように。