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キラキラしたいあなたへ 2020/03/18

参考聖句【詩篇 147章11節】

神は馬の力を喜ばず、

歩兵を好まない。

主を恐れる者と

御恵みを待ち望む者とを主は好まれる。

 

 

これは管理人の体験談をともに語った方が伝わると思うので、

少し自分の話にお付き合いください。

 

もともと管理人はイラストレーターを目指しており、

今現在、ほんの少しの報酬ではありますがお仕事をさせていただくことがあります。

 

ただ、ここ最近は絵の評価が下がっているというか、

感想などのレスポンスも少なく、非常に焦っていました。

 

もともと障害があり、コミュニケーション能力も人よりはるかに劣り、

そんな中与えられた賜物である絵を描く行為でもさほど評価されていない。

この現実が私の心をかき乱していました。

 

特に最近ショックだったのが、

展示会に出展した作品がまるまる戻ってきてしまったことです。

みんなの原画が売れる中、私の原画は売れなかった。

それだけでなく、いつもは少しは売り上げのあるグッズも1点も売れず、

さらには無料で置いた感想ノートは何も書かれず真っ白なまま返ってくる始末。

 

「ああ、なんのために描いているんだろう。」

「これだけ嫌な事だらけの人生、少しはいいことがあってもいいじゃない。」

「イエス様はどんな顔で私を見ているの。」

「そもそもイエス様、ちゃんと私のこと見てる?」

 

そんな風に神様にたくさんの文句を言いました。

でもクリスチャンって不思議で、

神様に文句言ってるうちに、聖書に触れたくなってくるとか、

そういうことを「体験」するんですね。

私は聖句がすぐに引用できるアプリを開き、

いつも読んでる好きな聖句に苛立ちを覚えながら画面をスクロールし続け、

おそらく忘れてしまっていたであろう聖句と出会いました。

それが、詩篇147章です。

最初に読んだのは3節でした。

参考聖句【詩篇 147章3節】

主は心の打ち砕かれた者をいやし、

その傷を包まれる。

この聖句を読んで、

「私の心は打ち砕かれている。

 キラキラと輝いたクリエイターになりたいという、

 まるで神になりたいかのような願望が砕かれた。」

と、感じて、一気に楽になったんです。

この想い、願い、欲望が打ち砕かれたなら、

神様は私を労わってくださるんだと、急に喜びが沸き上がってきました。

そして147章を読んで行くうちに、今回参考にした上記の11節の御言葉に出会いました。

神様は、人間同士が競ったり、戦ったり、自慢しあったり、

そういうことをとても嫌われるんだということを再確認したんです。

キラキラしたい

人として成功したい

称賛されたい

ヒーローになりたい

ヒロインのように扱われたい

このような願望すべて、

向上心に見せかけた非常に危険な「悪魔的な思考」だと気付きました。

これらの考え方は

「自分も神様のようになりたい」という

最も厄介で大きな罪への入り口になりがちだと気付いたのです。

向上していくことや高みを目指すことは、決して悪ではないです。

でも、神様が与えてくださったもの(物質でもお金でも能力でも)で満足できず、

富や名声を貪り始めたら、それは貪欲という罪となり、苦しみにかわっていくんだと思いました。

キラキラすれば幸せになれると思ってたのに、

それが自分を追い込んで傷つけていることに、

神様は気付かせてくださいました。

で、今の私はどうしているか。

向上心は相変わらず持っています。

絵を描く者として、自分の描きたいものがもっと正確に表現できるよう、

技術やセンスの向上は常に追い続けるつもりです。

それが楽しみでもあるからやっていることです。

でも、競うことや金儲けに繋げようという思考は捨てました。

私の価値も、生活や奉仕に必要なお金も仕事も、神様が全部用意してくださいます。

それ以上を求め貪欲になるのは罪であり、神様を悩ませ自分も悩み苦しむことになるからです。

私をキラキラ輝かせてくれるのは、私じゃなくて神様です。

すべてをゆだねる、神様の与えてくれたもので満足する、

ここからズレてしまうと、キラキラするどころかドロドロしてしまうのです。

そもそもクリスチャンは、キラキラする必要がないのです。

だって、すでに大きすぎるほどの無償の愛で神様から愛されているのだから。

貧乏でも、コミュ障でも、障害者でも、犯罪者でも、

神様の目には高価で尊いのです。

不完全で間違いだらけな人間の評価より、

完璧で矛盾のない神様の評価を気にして生きる方が、

楽だし楽しくて、心がキラキラしてくる気がするのです。

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