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神に従順に生きる 2019/10/21

参考聖句【ルカによる福音書 9章23-24節】

イエスは、みなの者に言われた。

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、

自分を捨て、日々自分の十字架を負い、

そしてわたしについて来なさい。

自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、

わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。

平穏な日々を取り戻し、
やることに追われ始めると、
神様と会話する事を忘れてしまう。

クリスチャンなら誰しも経験のある事だと思います。
私なんかはしょっちゅうです。

そして試練に遭うと、神様に泣きつく。
こんな事の繰り返しの中、ふと、

神に従順に生きるとは

この答えに辿り着きました。

ある日どうしようもない不安感に襲われ、
心が酷く乱れていました。

そんな時、口から出てくる祈りは
「神様なぜですか」
「どうせ奇跡なんて起こしてくれないんでしょう」
「そんなに私が嫌いなの」
こんなものばかり。

でも、自分のプライドや自我を捨てて、
「神様、あなたの愛を私に示して下さい」
「あなたが守って下さると私にわからせて下さい」
「あなたの愛を妨害する者を叱って下さい」
こんな風に祈ってみます。

すると、状況はまったく変わっていなくても、
「私は愛されてる、恐れるのはやめるべき」
と考えられるようになる…
こんな経験もまた、私の人生の中で繰り返されて来ました。

そこで気付いたのです。
神に従順に生きるとは、神の愛を疑わない事だと。

神の愛を疑う時、神は私達に干渉できなくなります。
神は信じる者の願いをお聞きになり、
神は信じる者の祈りに応える存在だから。

神に従順に生きる…
その価値観を打ち壊そうとするのは、
いつだってプライドや自我です。
すなわち、「自分を神とする心」です。

神に従順になるのは、まるで神に負ける事だ。
神に従順になる事で、自分の生きたいように生きられない。
このような考え方は危険な錯覚です。

神に従順だからこそ平安が与えられ、
神に従順だからこそ神の愛によって満たされ、
だからこそ自由に生きる力が湧いてくるんです。

そんな事に気付いてからは、
試練に遭ったらまず「愛を示して下さい」と
祈る事にしました。

世の友は所詮世の友、捨てられる事もあります。
肉親だろうが教会の仲間だろうが、所詮世の友。
尊い存在だと思っていても、完全な愛はくれません。

そして自分も所詮この世の人間。
自分のために自分で頑張ったところで、
完全に自分の人生の舵をきる事は不可能です。

完全な愛をくれる全知全能の神への従順を覚えたいと思います。

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